右近の郷 豊能町立高山コミュニティセンター

お電話でのお問い合わせ

右近の郷(町立高山コミュニティセンター)

高山右近の紹介

高山右近の歴史

高山右近イメージ

高山右近は、飛騨守友照の嫡男で、1552年摂津の国(現在の大阪府豊能郡)高山(同豊能町高山)に生まれました。

6歳から、大和の国 沢城(現在の奈良県宇陀市榛原町)に住み、12歳のときに父飛騨守友照の影響で、洗礼を受ける。

1573年21歳の若さで、高槻城主となりました。

その後、キリスト教の布教をしつつ、羽柴秀吉・中川清秀・池田恒興らとともに、戦国大名としての名を広めました。

晩年は、豊臣秀吉によって施行されたバテレン追放令により、右近は信仰をまもることと引き換えに、当時領主だった明石船上城の領地と財産を全て捨て、肥後の国・小豆島などに隠れ住む。

1588年(天象16年)に加賀金沢城主前田利家に招かれ、金沢城修築・高岡城の新築に携わったとされています。

1614年(慶長19年)に徳川家康によるキリシタン国外追放令を受け、加賀を退去した。

長崎からマニラ(同年12月)に渡り、フィリピン総督に大歓迎を受けたが、老齢となっていた右近は病にかかり、翌年1615年(元和元年)の2月4日未明に息を引き取りました。

2016年1月22日バチカン(ローマ法王庁)から「福者」に認定されました。

年表

西暦 和暦 年齢 出来事
1552年 天文20年   摂津の国 高山に生まれる (現大阪府豊能郡豊能町高山)
1558年 永禄元年 6歳 大和の国 沢城(現奈良県宇陀市榛原町)に居住
1564年 永禄7年 12歳 イルマン・ロレソンより洗礼 洗礼名ジュスト(正義の人)
1568年 永禄11年 16歳 高槻 芥川城へ入城
1570年 元亀元年 18歳 高槻城へ入城
1573年 天正元年 21歳 右近 高槻城主となる
本能寺の変・山崎の合戦・亀山城攻・賤ヶ岳の合戦・根来征伐・四国征伐
1585年 天正13年 33歳 根来征伐・四国征伐等に功あり。明石六万石に移封
1587年 天正15年 35歳 九州征伐に参加するが、バテレン追放令が下り、小西行長によって小豆島に囲われる
1588年 天正16年 36歳 前田利家、右近を加賀に引き取る
1599年 慶長4年 47歳 前田利家没  金沢城修築
1609年 慶長14年 57歳 前田利長の命を受け、高岡城を築城
1614年 慶長19年 62歳 徳川家康によりキリシタン国外追放令を受け、長崎よりマニラに渡る
1615年 元和元年 63歳 2月4日没 ゼウス会聖堂に葬られる
2016年 平成28年 没後400年 バチカンより、福者の認定を受ける

資料提供 カトリック高槻教会、ウィキペディア

トピックス

トピックス

右近の郷グラウンドに、高山右近・志野ご夫妻石像が建立されました。
高山右近さんは、当地豊能町高山が出身地であり、奥様の志野さんは、豊能町余野が出身地です。
高山右近ご夫妻の石像は、世界でこの場所(高山)だけです。
一度ご覧にお越し下さい。

交通アクセス

右近の郷

〒563-0216
大阪府豊能郡豊能町高山10番地

車でお越しいただくのが便利です。

豊能町東ときわ台方面から
箕面森町を抜け国道423号線を左折、金石橋交差点を高山・北摂霊園方面へ右折し、高山公民館を左折。
池田方面から
国道423号線金石橋交差点を右折。
亀岡方面から
国道423号線金石橋交差点を左折。
箕面方面から
府道43号線から府道4号線に入り、北摂霊園を過ぎて高山公民館を右折。

道案内(ドライブルート)

バスのご案内

このページの
トップへ戻る